トップスケジュールエッセイプロフィールCDアルバム ブログ
20082007200620052004200320022001200019991998
竹下ユキ
エッセイ2008


2008年4月
1)ある春の日の出来事


2008年4月
2)刺青サロン


2008年5月
2)横浜駅の怪


2008年7月
ポルトガルへ行ってきました。


最新エッセイ
2008年4月

1)ある春の日の出来事。

かれこれ1か月以上前の話。

昼から目黒にある自然教育園という所に行った。ずいぶん前からこのツアーはU氏によって組まれ計画されていたのである。

まずはこの自然教育園で 、次に池上本門寺見学、次いで大田区立池上梅園、ちょっと離れて戸越銀座商店街見物、商店街の端にある洋食屋「ブルドック」で食事、そしてシメは私が初出演する四谷三丁目にある「ウナ・カンツォーネ」というシャンソニエ。(カンツォーネがメインのようだからカンツォーニエか?) 途中参加を含めると参加者は総勢6人。残る5人はいいとして私は夜仕事をするわけだから譜面や衣装の入ったキャリーをヒーヒー言いながらゴロゴロ転がしてのツアーだった。

最近はご近所を散歩して普段見落としがちなものをじっくり見たり、知らなかったことを知ったりするのが流行っているらしい。U氏はもともと相当な変わり者だが、その点このツアーの組み方は目の付け所が極めてジミで、今時のやり方だと言えなくもない。 ジミな切り込み方ではあるが各所それぞれの特徴があり、特別驚くようなこともなかったが、あとからシミジミ「変なの」と思うようなことはあった。

最初に行った自然教育園だが、ここは「入園者が同時に300名を超えないようにしています。」そうだ。この300人という数はどっから来たのか。301人目の人などは入れないわけだから団体で来るにもよほどの注意が必要だ。50人の団体で来て、最後の一人が301人目だったらその一人はかなり寂しい。

それから園内には禁止事項が色々あるが、中でも驚いたのが「コーラス」が禁止されていることだった。

園内は何の手入れもされていない風な雑木林なので、「お花が綺麗だから、ここで皆で歌いましょう」という気分にはならないと思うが、それでも女性が3人以上集まれば歌いたくなるのが人情だ。 それが禁止されている・・ということは過去には相当ひどいママさんコーラスかなんかを聞かされて雑木林の木が枯れたとか、そういう事件があったのかもしれない。

普段見落としがちな町中にも、あちこちに色々な苦労が隠されているのである。

▲エッセイ・トップへ




2008年4月

2)刺青サロン

六本木のネイルサロンに行った時、ネイラーの方がとても美しい眉毛をしていたので「あなたの眉毛は素晴らしい」と褒めた。すると、「これは眉タトゥーです。」と教えてくれた。 これは眉毛に入れ墨を入れて、寝ても起きても眉毛があるように見せる刺青のことである。 以前からこの刺青には関心があった。

私は幼稚園の頃三輪車ごとドブに突っ込み片眉毛を負傷して、そのまま眉毛無しの女になった。それと生えて来る部分は極端なタレ眉なので、剃ったり抜いたりしている間にすっかり退化して、今あるのは眉頭だけ。京都のお公家さんのような高貴な感じになっている。

で、毎朝眉墨で眉を書く。眉頭だけしか本物はないので、その日の気分で上げたり下げたり好きなように書いている。しかし、夏になって汗をかいたり、ややこしいリハーサルで頭を抱えたりする時に、書いた眉毛はすっかり無くなり、いつの間にかもとのお公家さんになってしまう。恥ずかしい。

いつでも眉毛がある顔というのはよい。

そこでネイラーに教えてもらった眉タトゥーサロンに出向く。 そのサロンは東上線の末の埼玉県川越市にある。かなりローカルだがうちからは1時間以内で行ける。うちもローカルだから。ほほほ。

東上線は乗継が複雑な上人身事故があるので気をつけなければならない。

無事川越へ着き狭いサロンのドアを開けると、ものすごくたくさんの人がウロウロしたりお茶を飲んだりしている。 ウロウロしているのはエステシャンとして働いている若い女子たちで、お茶を飲んでいるのはエステやタトゥーが終わってなごんでいるお客だ。お客のほとんどが50代以降の女性。きっと年取ると眉毛薄くなるんだな。しかし六本木のエステとはちょっと雰囲気が違う。何となく明るい農村ぽくて独特。

オーナーの女性は先生と呼ばれ、お客に愛されているらしい。金髪に髪を染め元気で明るいおばさんだ。この人が刺青を入れるオーソリティなのだと。その上このサロンは都心の10分の1の値段ですむ。 ベッドに横たわり先生と眉について語り合う。下書きしてからいよいよ施術。無理やり毛抜きで眉を抜くような痛みがあるが10分で終わるので耐えられないほどではない。終了後しばしアイスノンで炎症を抑えながらコーヒーを飲む。何故か先生がサンドイッチをくれる。コーヒーは飲み放題。食事付き刺青。

同じく施術の終わった女性は70代だと。もと看護師なので痛みは感じなかったと言っていた。何故看護師は痛みを感じないのか不思議だったが、一緒にサンドイッチを食べた。 このサロンへ来るとやみつきになるわよ。と言う。先生の魅力だとも言っていた。そのほかにアイラインの刺青とかもあるらしい。これで朝のゴミ出しの時恥ずかしくないわ〜。とも言った。眉毛のない顔で近所の人に会いたくないらしい。

確かに顔洗っても眉毛がある人生は素晴らしい。


▲エッセイ・トップへ



▲エッセイ・トップへ




2008年5月

横浜駅の怪

「三田から京浜急行に乗って横浜駅で相鉄線に乗り換えて二俣川という駅へ行く」のがこんなに大変なことだとは思ってもみなかった。

先日は二俣川でコンサートがあったのだが、横浜で京急を降りると「相鉄線」という表示がない。駅員さんが指さす方向へ闇雲に歩くのみである。

しばらくするとかすかに「相鉄線」という字が見えたりもするが、それをたどって先へ進むとその文字はいつの間にか見当たらなくなり、他の電車の改札口へたどりつく。

ブルーなんとかという地下鉄の改札口で「これは相鉄線ですか」と駅員さんに聞くと 「いいえ。相鉄線は今来た道を戻って階段を上がって・・・」と言われる。

重い荷物を引っ張ってやっとここまで来た私はショックのあまり彼の顔を見ながら 「ヒ〜〜〜〜ッ」と言ってしまった。

ここへ来るまでにひと気のない地下道を長々歩いたりエレベーターに乗ったり階段を下りたりして来たのだ。

まったくキツネにつままれたような気持ちでやっと相鉄線を発見して乗ることができた。乗り換えに20分近くかかるなんて実に馬鹿げている。同じ駅とは認められない。

帰りはピアニストと一緒だったが、二人一緒に横浜で迷ってしまい、「JRどこ。JRどこ。」と言いながら同じ場所でクルクル回っていた。その様子がかなり気の毒だったのだろう。見知らぬ若い女性が「JRはあそこの階段を上って下りたところですよ。」と教えてくれた。

何と親切なのだろう。

それにしても「上って下りる」くらいなら最初から平らにしておけばいいのに。

おまけに横浜駅はどこもここも工事中で何もかもがスッキリしない。

駅長の顔が見たい。


▲エッセイ・トップへ




2008年7月

ポルトガルへ行ってきました。

 6月はコンサートを2本控え、本来なら旅行に行くどころではないはずだが、なぜかそう言うときに限って旅行の予定が入っているのである。それも数年ぶりの海外旅行だ。目指すは西の果てポルトガル。

 そもそもベルギーで休暇を取っているA夫妻とスペインに旅しているM子さんに「リスボンで会いましょうよ」と誘われ「それもいいかな」と思ったのが事の始まり。一人でポルトガルまで辿り着く自信が無かったのでT子さんを誘った。私は恐ろしい方向音痴なのである。ポルトガルかと思ったらインドだったりしてはいけない。

 宿泊所の「ホテル・ミラパルク」は地下鉄の駅からも近いし、小ぢんまりとシンプルで過ごしやすいが、フロントの無愛想にはたまげる。フロントで事務仕事もしているのでExcuse Meを3回くらい言わないとなかなか顔を上げない。安いから仕方ないか・・とも思うが、民間外交の窓口たるホテルのフロントがこんなことでいいのかな。挨拶もこちらからしなければ誰も「お早よう」も「こんばんは」も言わない・・と来たもんだ。このホテルは全然お勧めしません。

 今回の旅行はホテルを1か所に定め、のんびりリスボンを楽しもうということにした。 とは言え高い旅費を掛けてやってきたので、毎日地下鉄や市電を乗り継いで歩くこと歩くこと。まずは教会めぐり。ポルトガルはカトリック国だからあちこちに教会がある。それも軒を並べて。これはどういうことだろう。信徒が入りきらないから自然に増えたのか。派閥争いか。貧富の差か。色々想像を巡らす。どの教会もすさまじく立派。それでいて過去の遺産にならずに現在もちゃんと活用されている。中には立ち見(?)の勢いで礼拝している教会もあり。名前も覚えられないほどたくさんの教会をハシゴした。ありがたさ満点。お遍路さんか。ちなみに私はクリスチャンだが。

 少し行くとテージョ川という川がある。川を渡る定期船があるのでそれに乗ってみることにした。船着場の切符売り場のお兄さんのお勧めで一番近い向こう岸へ渡る。街中とは一変してまるで昔の映画のような素朴な港町に着く。

 7時になってもまだまだ明るい。狭い通りギッシリにテーブルが出され、あちこちの店(魚屋みたいな小さな居酒屋が軒を並べている)で客引きをしている。通りの突き当りにはトラックの上に仮設ステージが作られ、弾き語りの女性が打ち込みとキーボードのチェックをしている。カラオケとキーボードを使って一人で演奏するらしい。演歌な風景だ。

 なるべくステージに近いテーブルを確保し食事を始める。観光客でましてや東洋人は私たちだけ。ここへ来てから本当に東洋人を見ない。 メニューはどの店もだいたい同じ。カタツムリの子供をオリーブオイルで炒めたもの、イワシの塩焼き、切って並べただけのサラダ、パン、エビ、イカ、アサリ。それにワインとビール。イワシは新鮮なのをどんどん網に乗せて焼いている。明日は聖アントニオ祭というお祭り。日本で言えばお盆みたいなものなんだろうか。都会へ出ていた子供夫婦が孫を連れて帰って来た・・みたいなシーンも多くみられ、お爺さんお婆さんと小さな子供たちが抱き合って挨拶する光景があちこちに見られる。 だんだん日が落ちると、素朴なイルミネーションに電気が灯り風情を盛り上げる。トラックの上のステージが賑やかに音を出し始めると、通りに出て踊る人も。

 古い映画の中に飛び込んだような錯覚を覚える。

 テーブルはそれぞれ持ち主がいて、料理をサーブする店の所有物だ。店はだいたい家族で経営しているらしい。恐らく普段は男は漁に出て女が店を守るんだろうが、どう考えても普段は閑古鳥が鳴いているはず。今日が書き入れ時とばかりに、必死な形相の女将さんが娘たちを叱咤しながら注文を取る。

 お勘定の時には、我々は確実にボラれているのが分かったので、イタリア語が上手いAさんはある程度きちんと話をして(ポルトガルは英語よりもイタリア語の方がよく通じる)そのあとでチップを多めに渡していた。何故か周囲のお客もAさんのチップの渡し方に好感を持った様子。

 この映画の一コマみたいな光景に私たち日本人が気持ちよく入れてもらえたことに一同感謝。食事が済んでトラックのステージを見物していると、一人で上手に踊っているオジサンがいる。私の傍に来て誘うので、一緒に踊った。リードが上手いのでとても踊りやすい。日本人観光客に最高のサービスかな。

 そして別の日。今回の旅のメインイベント。「ファドを聴く」。盛り場にはファド・ハウスがたくさんあるが、一番熱心に客引きをしていた店に入る。店の社長もファド歌手。アマリア・ロドリゲスも出演していたと威張っていた。早いステージは団体観光客用のエンターテイメントで、団体が帰ると途端にステージの場所を換えてこぢんまりとしたライヴになった。

 この日の歌手は若手から社長まで男女2人ずつの計4人。全員優劣つけがたく上手い。ピアニッシモ、フォルッテシモを使い分けながらノーマイクで歌う。伴奏はベース+アコースティックギター+ポルトガルギター。客に聞こえようが聞こえまいがピアニッシモを使うところがよい感じ。 ファドはコブシの回し方と発声の仕方に特徴がある。コブシは良いとして、発声は不思議。お腹の底からもち上げた息をどうもそのまま出さずに喉のあたりを一度狭めてから出しているらしい。細いところを通って出てくるような音色になる。

 どの歌手も滅茶苦茶上手かったが、中でも私が気に入ったのは若手の男性マルコ・ロドリゲス君。凄まじい声量と流し目で魅力的。思わずCD買っちゃったもんね。ギターも弾けるので他の歌手の伴奏にも回る。マルチだ。

 コブシと発声が同じだと何だか皆同じ声に聞こえるのも民族音楽の特徴か。どうせ皆さん上手いから、その先はどう個性を出すか・・ってことかな。ルックスとか見せ方とか。結構大変な世界だと思う。日本で言えば演歌の世界かも。 結局最後のステージまで見てしまったので帰りは2時になった。 すごいな・・とは思ったが、正直言ってこの手の音楽はよっぽど好きでないと飽きる。長時間演歌聴きたくないのと一緒だと思った。 その翌日はファドのコンサートを聞きに古城跡の野外ステージに行く。若い人がいっぱい。ナチュラルな発声の素敵な低音の女性だった。これもファドなの?という感じ。

 最終日は日曜日。A夫妻は次の目的地へ旅だち、M子さんはひと足先に帰国。T子さんはお疲れだったから一人でホテルの近所の教会の日曜礼拝に参加。聖歌隊の歌を楽しむ。午後から二人してミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」を観劇。ポルトガルのミュージカル俳優たちの歌唱力にはビックリ!踊りは日本の方が数段上手いけど。ああ。世界は広いわ。

 翌朝は早く空港へ。ホテルのフロントのおじさんは「ありがとう」も「良い旅を」も「さよなら」も無し。あんたのお陰でポルトガルは随分損してると思う。

 わずか1週間の旅でしたが、やっぱり音楽の旅になっちゃったみたい。身体の中に新鮮な空気が通ったみたいです。T子さんお付き合いいただきありがとう。A夫妻、M子さん誘ってくださってありがとうございました。

▲エッセイ・トップへ