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竹下ユキ エッセイ2006 2006年1月 参加型ミュージカル 2006年2月 2月の出来事 〜出た!「やぎやま」女!〜! 2006年5月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) @ 2006年6月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) A 2006年7月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) B 2006年8月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) C 2006年9月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) D 最新エッセイ |
2006年1月 参加型ミュージカル 日生劇場で「ベガーズ・オペラ」というミュージカルを見てきた。これは私がこのところ凝っているクルト・ワイルという作曲家の作品として有名な「三文オペラ」のもとになった戯曲で、18世紀のイギリスが舞台となっている。当時としては社会風刺をたっぷり織り込んだ斬新な作品だったようだ。 ところが、その風刺精神や当時の風俗や習慣・・・などなど、現代の日本人にはピンと来ない点が多すぎる。三文オペラならばワイルの劇中歌(マック・ザ・ナイフとか)を楽しむという方法もあるだろうが、ベガーズ・オペラの劇中歌と言っても更にピンと来ないし、いったいどうやって演出するんだろう、と興味しんしんだった。 結果的に言えばこの作品は見事成功していた。実力と人気を兼ね備えた俳優陣を多くそろえ(内野聖陽・島田歌穂・森公美子・高嶋政宏etc)歌もダンスも質が高かったのと、何より新鮮だったのは客席の一部が舞台上にあり、開幕を知らせるベルはなく、いつのまにか舞台にいる役者はお客に大道具のセッティングを手伝わせたり、他の役者たちは客席をからかいながら(食べ物の差し入れをもらってその場で飲み食いする役者もいた。食中りでも起こしたらどうするんだろう、とハラハラする。)劇場後ろの扉から登場。舞台と客席の垣根を限りなく低くする気配りだろう。エンディングでは客を舞台に乗せて一緒に踊ることすらした。 \1,800で売られていたプログラムには18世紀ロンドンの歴史的説明や、役者たちに課した当時の風俗についての調査レポートなど、これさえ読めば何の知識もない観客と、舞台上で演じられている時代との距離がグッと近づくことができる。念には念のいった親切な教科書だ。 これだけ中身が詰まっていれば\1,800は高くない。なるほど、ここまで痒いところに手の届く「一緒に作ろう」型舞台で、尚の事お気に入りの俳優に直に触れるチャンスもあるし、ミュージカルファンにはたまらないだろうなあ、と感心。 しかし、どうも腑に落ちないのは、何だかお客が幼稚園児並みに扱われているんじゃないか、という点。確かに原作自体がわかりやすいものではないし、本来大劇場に掛けるような作品ではないはずなのに、一般大衆に娯楽作品として提供するには相当の気配りが必要なのは分かるが、劇場で配られた他のミュージカル公演の広告チラシにもやたら「舞台と客席が一体になる」とか「舞台と客席一緒に踊ろう」などのキャッチコピーが目立つ。最近のミュージカルの特徴か。 下町の大衆演劇のライヴ感を取り入れている・・・と好意的に解釈することもできるが、何だか私にはミュージカルファンのご機嫌を取っているように思えて少々寒いものを感じた。入場料を\12,000も取れば致し方ないことなのか。(チケットプレゼントしてくれたTさん。どうもありがとう!) ファンは同じ公演を1度ならず何度も見るというから気の使いようも半端じゃないのだろう。しかし時代風俗に合った衣装と化粧で出来上がったプロの舞台に、普通のOLさんがどんどん乗っかって踊るところなんて見たくなかったし、どうして芝居見に来て最後に立ち上がらなければ何も見えないくらい観客が立ち上がって踊るのか、釈然としない。 背に腹は代えられないというところか、それともテーマパークが劇場まで進出して来たということか。 あるいは私の頭が固いんだろうか。 2006年2月 2月の出来事 〜出た!「やぎやま」女!〜! 怪鳥「ハシビロコウ」を見に上野動物園へ行った。これはコウノトリ科の鳥で生息地はアフリカのウガンダ。顔は恐竜で足は鶴・・・とでも言うか。身長は120センチあり、重そうな上半身の割にはよく飛ぶのだと。何とも不気味なこの生物を私のHPの掲示板で紹介してくれた人がいて、しばらくはその鳥の話題で盛り上がった。そうなると現物を見たくて、居ても立ってもいられなくなるのが人間の自然な姿だ。さっそく土曜日の正午に動物園の入り口に集合することを条件で呼びかけると、合計7人の変わり者が集まり(肝心の話題提供者はインフルエンザで出席を断念したので実際は6人。)意気揚揚と入場門をくぐった。 ハシビロコウは入場門から一番遠いキリンの檻の前。年に何度もここを訪れるS女史の案内でまずはその姿を拝みに行く。写真は座り姿のハシビロコウ。結構目つきが悪くて憎たらしい。 お目当てを見た後は食堂でカレーとビール。それからダラダラとあちこちの檻を見て歩いたが、本日の話題のメインはそんな時に現れた。 子供が羊や山羊に触れられる放し飼いのコーナーがあり、私たちはそこの「やぎやま(山羊山)」で何となく山羊を見ていた。すると、子供や山羊に混じって、ピンクのスーツを着、白い手袋をした30代半ば〜後半くらいの綺麗目の女性が山羊の説明をしてくれた。大変細かい説明に、ボランティアのスタッフなのかな、と思っていたが、スタッフバッチも付けていないし、だいたいスーツを着ているスタッフなんていない。 変だな、と思って「係の方ですか?」と聞くと「いいえ、違います。」と。しかしこの女性は何十匹もいる全ての山羊の名前と生年月日、それから家系図(どの山羊からどれが生まれ、どれとどれが兄弟か、そして今その親はどこの動物園にもらわれて行き、その兄弟はどこの小学校で飼われ、時には知らない間に殺されている山羊もいる・・・などの話)まで知っていて、聞けばいくらでも話してくれる。 山羊は一頭ずつ名札を付けていてそこには「すあま」だとか「ミルフィーユ」などという美味しそうな名前から「ユメ」みたいな普通の名前もあったが、その名札を飼育係が間違って付けることがあり、その時は飼育係と喧嘩してでも抗議するそうだ。心なしか山羊も彼女になついているようだ。 スーツ姿は仕事帰りなのかどうか不明だが、毎日は来られないがしょっちゅう来ていますという話。そりゃそうだろう。そこまで知っているということはきっとこの「やぎやま」の主なのだ。 どの世界にもマニアはいるものだが、こんな所にも怪しい人物はいた。私たちはこの人を「やぎやま女」と呼ぶことにした。「やぎやま女」は山羊の名前を呼びながら話し掛けていた。「秋田の動物園にもらわれて行ったお母さんに逢いたいねえ。でも今日は電車が止まっちゃっているから行かれないのよ。」・・・・・。ちょっと怖かった。 2006年5月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) @ 笑い事でなく実感として自分の脳の萎縮を感じざるを得ないこの頃である。特に私のように老人と同居していると、老化が伝染するのだ。これは嘘ではない。助産婦さんの話によると、赤ん坊を取り上げる作業は大変労力がいる仕事だが、その代わり彼女たちは常に羊水を浴びているので肌は美しいし、赤ん坊から溢れんばかりのエネルギーの恩恵をこうむっているので、体力を補給できるのだそうだ。ところが、老人介護の仕事というのは中々そうはいかず、ひたすらエネルギーを吸い取られるのが実情で、高齢化社会に向けて介護を家庭で、または職業としてする人たちも増えるはずだが、逆にこれからは介護する人の心と身体の健康が大きな課題になるとか。私はまだ介護に明け暮れる必要がないのは幸いだが、どういうわけだか老化の伝染、先取り能力が高く、特に物忘れが激しい。このところ、仕事に行くのを忘れたり、行く場所を間違えたり、笑って済まされないことが立て続いた。 ところで、私は年に何回か自主公演をやっている。これはどういうことかと言うと、自分で日時、会場、コンサートの趣旨、などなど、土台となることを全て決め、スタッフやミュージシャンの発注、チケット価格の設定、チケット販売のルート、宣伝用チラシの製作、広告取り、マスコミへのアピールなど、事細かいことも全部やる。その上、もちろん選曲、構成、出演もするのだ。考えただけで3日は寝込みそうな作業である。そんな面倒なことはやらなきゃいいだろう、と普通の社会人なら考える。しかし、我々のような特殊なフリーランスは時々自分の作品を発表しないと、自分が何者かが分からなくなってしまうのだ。 その自主公演を先月南青山の「マンダラ」というライヴハウスで行った。ここは120人程度の小規模のライヴハウスで、大人向けのライヴを行うには適当なスペースだ。毎回ここでは何がしかテーマを決めて歌っているが、このところのテーマはユダヤ系ドイツ人作曲家の「クルト・ワイル」。「三文オペラ」などの劇中歌や、ミュージカルの曲をたくさん書いた人だ。日本ではそれほどポピュラーとは思えないこの作曲家の作品に私は惚れ込み、何とかいい形で広めていけないか、と。こんな無謀なことができるのも、アンダーグラウンドな活動をしているからで、これは1億人相手に歌っているビッグネームには絶対できないことだ。ある意味では特権だし、使命だとも思っている。 彼の作品は山ほどあるが、特にナチスに追われて亡命したアメリカで書いたブロードウェイ・ミュージカルの中にはファンキーな曲も多い。ほとんど知られていないが「闇の女」という作品の中には「チャイコフスキー」という曲があり、これが「どうでもいいことだが、どうしてロシアの作曲家の名前はこうなんだろう。」という馬鹿馬鹿しい歌で、延々作曲家の名前が51人(チャイコフスキーやらストラビンスキーやらムソログスキーやら)出てくる歌だ。トータル48秒の曲の中に51人の名前が盛り込んであるのだから、どれほどの早口言葉か想像がつくだろう。初演はかのダニー・ケイであまりの素晴らしさにスタンディングオベーションが5分間止まらなかったそうだ。 これをやりたい。と、私は思った。いや、記憶力の低下している今こそこれをやらなければならない、と思った。しかし、ロシアの作曲家の名前は私にも私以外の人にもまず馴染みがない。ならばどうしたものか。こういう時に持つべきものは友達である。作曲家の杉原葉子さんはこういう変な曲に歌詞をつけるのが抜群に上手い。相談すると、ロシアから東京に場所を移して、作曲家の名前から地下鉄の駅名にテーマを移したらどうか・・と。何と良い頭なんだろう。彼女はビール1ケースで作詞の仕事を引き受けてくれた。私から正式なギャラが取れるとは思っていないのである。それが正しい。事実私は払えない。 まもなく東京の地下鉄の駅名の歌は出来上がってきた。それも恐ろしいことに原曲よりも更に固有名詞の数が多い。トータル58駅の名前が盛り込まれている。しかし、多少の語呂合わせはあるものの、暗記のとっかかりがみつからない。それをものすごいスピードで歌わなければならない。私は半狂乱になった。毎日この歌で頭は一杯になり、それでも一向に歌詞は頭に入っていかなかった。一度もまともに最後まで歌えたことはなかった。己の頭の悪さに涙が出た。もうクルト・ワイルも何もどうでもよくなり、ライヴの目的がこの歌のような気さえしてきた。それでも覚えられないので、荒川静香選手がオリンピックで回転数を減らしたように、最終的には駅名を減らすか、それでもダメなら歌うこと自体を諦めようとも思った。気分がものすごく暗くなった。 しかし、悪いことにこの曲に取り組んでいる、ということをうっかり何人かに漏らしていたので、期待されていた。止めるわけにはいかなかった。私は今までこんなに練習したことないくらいに毎日この曲に取り組んだ。取り組む曲が東京の地下鉄の歌かと思うと余計に情けなかった。その上、低下した記憶力には手荒な挑戦だった。ややもしてバンドとのリハーサルがあったが、その日も私は見事玉砕した。ライヴまでもう残すところ何日もなかった。(続) 2006年6月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) A (前回のお話)私はライヴで、48秒間に「東京の地下鉄」の58の駅名が羅列されている曲を歌う羽目になり、しかしその駅名は私の頭には全く覚えられず、既に本番前には大きなお荷物となってしまっていた。 本番まであと1週間しかないのに、一度も最後まで間違わずに歌えた試しがなかったこの曲は、私にとって本当に要らないものだった。しかし、これを楽しみにして来る人も多少は居るし、ここでギブアップすることはプロとしてあまりに情けないと思った。そこで駅名を自分の覚えやすい順番に変えてみたり、駅名の数を大幅にカットしてみたり、途中に文章を挟み込んで無意味な単語の羅列を止めたり、涙ぐましい努力をした。それを寝る前にしこたま繰り返し、朝目がさめた時、一番に口ずさんでみる。 すると、あと3日というところあたりのある朝目覚めの第一声で、まったく間違えずに1曲を歌うことができた!!それから一日中他の作業をしながら歌詞を唱えてみると、次第に何度でも口ずさめるようになった。素晴らしい!!私は自分の隠れた能力に感動した。まだやれる!!そうだ。まだやれるのだ!! そうなってくると人間は欲が深くなり次第に、あれこれ手を加えた自分の作詞が気に入らなくなってくる。所詮これは覚えやすいために手抜きをした作品ではないか!!手抜きをするくらいならやらない方がマシだ。卑怯だ!私はどこまでも自分に厳しかった。そんな自分の厳しさにうっとりした。 本番まであと2日。そうだ。もう一度元通りのあのややこしい58駅に戻してみよう。メロディーラインは何度も繰り返して歌っていただけあって、もうしっかり身体に染み込んでいた。そこで、バンドとのリハーサルを録音したMDを繰り返し流しっぱなしにしてそこに従来の駅名を乗せていった。 す、すると不思議な現象が身体に起こるのが手に取るように分かった。あんなに覚えられなかった当初の歌詞が、音に乗せて自然に口をついて出てくるのだ。不思議だ!!それはもう皮膚感覚とでも言うか。音と同時に言葉が反応するのである。この音にはこの言葉。まさに、それはミラクルだった!!散々繰り返しても覚えられなかった駅名の数々がちょっと違う方向に気を向けた途端、堰を切ったように私の頭になだれこんで来ていた。 私は微かに涙ぐみながら天を仰いで神に感謝し、「もうここまでやったんだから、本番でもしグチャグチャになったとしても、悔いはありません。」と誓った。事実本番は想像以上に落ち着いて歌うことができ、1つだけ地下鉄の走っていない駅名を混ぜてしまったことと、安心したあまりに最後の最後に舌がもつれた以外、95%の駅名が口から芋づる式に流れ出た。万歳!!人間やればできるじゃないか!! 脳は使えば使っただけ期待に応えてくれる。これが私の実感である。このやり方を繰り返して行けば、脳の老化は多少は遅らせることができるのではないか。巷にはボケ防止問題集が溢れているが、私は自分のやり方に信頼を寄せていた。そうだ。音に素早く反応すること。そして、それに言葉で応酬すること!!これは何かに似ている。いつか経験したことがある。いったい何だったのだろう!! 音を伴う暗記。・・・そうだ。語学を学ぶときにはいつも「聞く」ことと「それに反応する」ことがポイントだった。よし、これから外国語を勉強しよう。そうすれば友達も増えるし、ボケ防止にもなる。名案である。ここでまた自分の発想の素晴らしさにうっとりした。しかし外国語と言ってもこれから全く知らない部族の言葉とか覚えてもあまりメリットは無さそうだし、だいたい全く一から学ぶのも面倒だった。根性があるようで無いところが私の特徴である。 結局さんざんやってモノにならなかった英語をやることに決めた。そもそも中学校から数えたら10年も英語をやっていたはずだし、よく考えたら私は英文科を卒業したらしい。しかし、授業に出席した思い出はあまりないし、たまにしょうがなくてガイジンと会話を交わす時も、ここは日本だ。あんたが日本語を使えばいい、くらいにしか思っていなかったので、いい加減だった。だいたい日本で暮らしていて、どうしても英語をしゃべらなきゃならない人なんてどれだけいるんだろう。東南アジアの人は生きるためにとにかくしゃべる。過去に欧米の植民地になったんだから当然である。日本人はその必要がなかったことをむしろ喜ぶべきで、悲観することなど一つもない。それにアメリカに行けば、子供だってしゃべっているのだ。そんな簡単なことが58の駅名の歌を覚えた私にできないはずがない!! そこで私は生まれて初めて英会話学校の門を叩くのだった。(続) 2006年7月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) B 英会話学校を探すのは一苦労だった。何故なら、日本人がそうまでして英語を必要としているとは思いにくいにも関わらず、世の中には英会話学校が林立しているからだ。中には高い値段を取って、日本に旅行に来たついでにアルバイトしていこうなどという不埒な教師を安く雇っている怪しげな学校も多いと聞くので要注意。日本語が話せても誰もが外人に効率よく日本語が教えられるわけではないのと同じで、教える技術もないのにネイティブだというだけで教師面されても困るのである。 こういう時に便利なのがインターネット。ここには学校の宣伝ばかりでなく、英会話学校オタクの潜入ルポだとか辛口学校ランキングなど、何でもござれの情報量で、逆にどこに的を絞ったらいいのか決めるのも至難の業だ。 私は英会話の目的を「大人同士が交わすきちんとした会話」に置いた。海外旅行に行って道を聞くだけなら最近は携帯用通訳機がやってくれる。それより同じ映画を見た感想とか、最近のファッションをどう思うかとか、北朝鮮の拉致問題をどう考えるかとか、宝塚歌劇月組公演を見ますかとか、これはペンですか、とか話し合えたらいいではないか。 そのためにはまずきちんとした教授法やテキストを自社開発している学校を探した。ベルリッツ・リンガフォン・・などの名前が上がる。授業料・・・。高い・・・。特に私のように時間が不規則な生活をしていると個人レッスンを受けるしかないので更に値が張る。かと言って会話の練習は年に一度忘れたころにやっても意味がない。困った。ところが逆に極端に授業料の安い学校もある。この違いはどこから来るのか。そこで試しに両極端の2校を選び見学に行ってみることにした。ひとつはドイツ系学校の「ベルリッツ」。もうひとつは何故か破格に安い「イングリッシュ・ビレッジ」。 ベルリッツ大手町校。場所柄エリートサラリーマンの生徒が多く、教師の数も豊富で教室も綺麗。受付のお嬢さんたちも賢そうで雰囲気はよい。色々説明を受けるうちにその日が割引サービスの最終日だということが分かる。「割り引き」という言葉や「今日限り」という表現に弱い私は思わず契約してしまった。だいたい1時間の授業料は5千円。それを1回2時間取ると一日1万。私にしては結構痛い出費。 簡単なテストを受けてレベルチェックをしてもらい、それに見合った教材をもらう。夕方の時間帯は会社から送り込まれてくるエリートサラリーマンで一杯だ。日本人がこんなに切羽詰って英語を学習しているとは知らなかった。経済人もご苦労さんなこった。 見学予約を入れてあったので翌日は新宿にある「イングリッシュ・ビレッジ」に行く。繰り返し言うがここはとにかくレッスン代が安い。1時間のレッスンが2千円で、10時間単位で購入する形。安い代わり隣の部屋の声は筒抜けだし、教師もそう上等とは思えない。しかも、受付しているボスみたいな女性はどっから見ても焼き鳥屋のおかみさんだ。でも、安いから暇な時に気軽に立ち寄るにはいいんじゃない、という感じ。 で、ここも契約。 翌日さっそくここへレッスンに行った。教師はその日によって色々だし、色んな地域から来た人種なので発音も様々だそう。英語は国際語なのでその方がいいという話だ。その日はカナダから来た男性が担当。奥さんが日本人で川崎に住んでいるなかなか親しみやすい30歳である。私がある言葉の説明を求めると、顔が蒼白になり頭を抱えた。どっか具合でも悪いのかと心配すると、何と!!「英語忘れちゃった!!」と、英語で言った。「日本に長いこと住んでるから忘れちゃった!!」と。呆れて口もきけないところだが、敢えて「じゃあ、あなたの日本語は相当上手いんだ。」と私も英語で言ってやった。すると、「日本語もダメなんだ。僕は何語もしゃべれない!!」と悲しむことしきり。同情はできるが、何だかな〜。 今度はベルリッツ。1時間目はイギリスから来たという教師だが、まったく発音が分からない。アイ・サイ。アイ・サイ。・・・と言うので「愛妻」の話かと思ったら「I SEE」と言っているのだった。あんたイギリスのどっから来た?2時間目はインド人。ひたすら一人でしゃべっている。かと思えば自分の言うことをノートに書き取れと言う。私は会話の練習に来てるんだが・・・・。 何事もスムーズには進まない。 2006年8月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) C こうして私の英会話学校通いは始まったわけだが、時期を同じくしてとある婦人雑誌に「近頃物忘れがひどくないか」などというテーマで、「ボケ防止によいのは語学学習」などと発表されていた。やはりそうだったか。私は自分の先見の明というか、着眼点の的確さにうっとりとした。 さて、こうした学校のいいところは気に入らない教師を断る自由がある、というところだろう。これが知り合いの紹介で・・などという教師だったらこちらが気を使うばかりだが、1、2回レッスンを受ければだいたいその人のやり方が分かるので、リコールすることが可能だ。授業料の高いベルリッツでは7月末までに30時間のレッスンを受けたが、その間私は何度も担当教師をクビにし(捨てる神あれば拾う神もいるので彼らは困らない)結局最終的に3人の教師が担当することになった。そのうちの一人Sとは極めて気が合い、あちらも大手町の退屈なサラリーマンのレッスンに疲れているので、気楽な私が行くのを楽しみにしていた。彼はアメリカ人で映画の照明が本職だが、何故か日本に4年住んでいる。30歳くらいの実にC調で愉快な男である。ベルリッツにはきちんとしたテキストがあるのだが、彼はテキストは一切使わない。面倒くさいのである。だからと言ってまったくいい加減か、と言えばそうでもない。で、結局彼のレッスンは雑談に始まり雑談に終わる。 ご多分に違わず、彼には日本人のガールフレンドがいる。在日英語教師が日本人の妻かガールフレンドを持っていることは全く珍しくないが、毎日大手町サラリーマン相手に教室にこもっているのに、いったいどこで女性を探し出すのかは不思議だった。彼が言うには「女の子はどこにでもいる。」飲み屋ででも知り合うのかと思いきや、「電車の中」や「駅のホーム」で見つけるそうである。その方法は電車の中に可愛い子がいたらまず適当な漢字を見せて「これは何と読むのか」と英語で聞くのだそうだ。もし、その子が英語が話せれば英語で会話するし、話せなければ日本語で話すのだと。そうこうしているうちに自分の携帯電話の番号を教え、それにコールしてもらって相手の番号を知る。さほど難しいことではないらしい。日本のモテナイ男たちにも教えてやりたいが、まず実行不可能だろう。幸い、彼はいわゆる不良外人ではなく、極めてまともなタイプだから、女の子も悪い気はしないのだと思う。日本の男子よ。そのうち女性はみんな外人に取られるぞ。しっかりしなさい。 最近わかって来たのは、日本に長年住んでベテランになった英語教師はあまり有難くない・・ということだ。彼らは一様に英語を忘れている。S曰く、毎日日本人の幼稚な英語に付き合っていると自分の言葉がどんどんシンプルになり、ついに考えることまでシンプルになってくる。たまに本国へ帰ると頭の中で日本語と英語がごっちゃになり、レストランで注文すらできないことがある。頭が完全にストップするそうである。いくら在日外国人と付き合っても皆同じ症状なので英語での会話が生き生きしないのだと。これは外国に長く住む人たちの避けられない病状だろう。だから、日本に遊びに来たついでにアルバイトで英語教師をしているくらいの方が使える英語を教えられる場合もあるのだ。なるほど、面白い人材ではあるがS君もそろそろベテランの域と見た。 それから、結局どこの英会話学校に行こうと、所詮人間には相性というものがあるので、「話が合う」かどうかが重大なポイントなのだ。相性のいい教師に出会えるかどうかは運命に近いものもあり、高い学校に行ったからといって出会えるものではない。 そして一番肝心なことは、いくら英会話学校に通ってもそれだけでは教師にお守りをしてもらっているだけであって、さほど会話力は伸びない。これは歌のレッスンと同じことだ。自分でトレーニングする時間を持たなければレッスンの内容が身につくことは期待できない。仮にアメリカなりイギリスなりに暮らしたとしても、自分が積極的にならない限りは言葉は身につかない。残念ながら私は家で復習したり英語放送を聞いたり、英字新聞を読んだりするほどの根性はないので、せいぜいレッスン回数で補うしかない。 そういう分けで、7月一杯でベルリッツをリタイヤすることにした。やはりダラダラ長く通うには高い授業料はネックである。S君は大変残念がって「じゃあ、これから英語はどうするんだ」と聞くので「もっと安い学校に行く」と話し、もう1つのイングリッシュ・ビレッジ(受付のボスが焼き鳥屋のおかみさん顔をしている学校)の授業料がどれだけ安いかを話してやった。「信じられない。そんな値段で教師はいくらもらってるんだろう。」「さあね。あなたもこっちの学校に勤めてみれば。」すると彼は両手を挙げて言った。「それだけは勘弁。これ以上給料を下げたくない。」高い学校なのに教師には大して払っていないらしい。 2006年9月 プロジェクト・Y(手習いの薦め) 最終回 その後、私の英会話学校通いは日常の習慣となり、イングリッシュ・ビレッジに常駐している教師の顔も一通り覚えた。当初は相手の顔が白かったり黒かったり赤かったりする度に違和感を覚えたが、近頃はどんな変わった顔が目の前に現れても何ともない。ペンギンやアザラシとも話ができる気分だ。 で、私の会話力がどうなったか、というと別にどうもならない。だいたい日本語の世界ですら、政治や経済や化学などの話題に疎いのに、どうして時事英語が得意になろうか。母国語でできないことが外国語でできるはずがない。だから、私が英語教師と話す話題は極めて庶民的な話である。街の中で見た変わった人の話とか、日本人はどうしてこうも乗り物に乗ると眠りこけるのか、とか、日本の男はもう少し自立しないと今に結婚してくれる女性はいなくなるだろう、とか、欧米人の夫婦は離婚しないために必死に共通の趣味を持つが、それでも気持ちが冷めればさっさと別れてしまうので離婚率が高い、とか、毎日暑いから脱水症状には気をつけようね、とか、人文的と言えば聞こえはいいが、まあ、井戸端会議に毛のはえたようなものである。教師も一日中日本人の変な英語の相手をしていて疲れているから、文法や語彙の間違いに気づいてもそうそう丁寧に訂正してはくれない。分かっても分からなくてもYES、YESとか言っている。 そもそもこちらがよほどテーマを絞って(TOEICを受験するとか、留学するとか。)挑まない限り、向こうも手の貸し様がない・・というのが事実だろう。何事も学ぶほうが積極的でなければ効果は上がらない。しかし、私の元々の目的はボケ防止だから、受験したり留学したりするほどの会話力は要らないのである。ましてや国連で同時通訳しなければならないような目に合うこともない。四方山話を楽しくできればそれでよろしい。 それから、例え日本人同士の会話であっても、自分が相手の一字一句を漏らさず聞いたりしていないことにも気づき始めた。相手の言葉がよく聞き取れなくても適当に相槌を打っていることなどしょっちゅうだし、時にはうなずきながら、全く別のことを考えていることだってある、ということを白状しましょう。それですごく困った記憶もないし。(記憶がないだけで、実際はとんでもないことになっていたかもしれないが。)だから、外国語が完璧に聞き取れなくたって別段驚くような話ではないのである。 最近は変な英語ながら教師を笑わせることにもしばしば成功し、なあんだ。日本語と同じじゃん。などと思って気分がよい。気分がよいと、たとえ少々文法が間違っていようとお構いなしで話をする勇気が湧いてくる。思えば中学校以来、我々は「正しい英語」アレルギーを植え付けられ過ぎた。正しくないとしゃべっちゃいけない、と思っている日本人は多いはず。生きるために英語をしゃべる東南アジアの人たちを見てみよう。ひどい発音ではないか。それに、話す内容というのはその人の等身大なわけで、外国語だから急にかしこまった話をする必要もない。言わば好きなことを話せる相手が見つかりさえすればわざわざ英会話学校に行く必要はない。料理でも音楽でも何でもいいからなるべく人種混合のグループに入るのも得策だろう。中でも良いのは、一緒に仕事をすることだと思う。仕事責任の有る無しは力を付ける上に大きく影響する。何にせよ、会話はひたすらコミュニケーションの手段であって、相手がなければ成立しない、ということに尽きる。 それでボケ防止の効果のほどはどうか、と聞かれれば、ズバリ「期待できるでしょう」、とお答えしたい。やはり外国語学習はお薦めである。一字一句を聞き取ることを目指していないながらも、やはり日本語を聞くときよりは耳を使っているのは確かだし、普段より数段脳みそが働いている実感がある。こめかみあたりが痛い。これって、いいことなんじゃないだろうか。(ただの頭痛か。) そんなわけで、ボケ防止とコミュニケーションを兼ねて私の英会話学校通いはしばらくは続く予定。そうこうしているうちに面白い事件にでも出くわせば、またご報告いたします。(了) | |||